ラプア 第1話

侵入者

嫌だ。

「ベアトリクス、あなたに休憩なんてないんだからさっさと残りの部屋も片付けなさい!」

嫌だ。

「何?逆らう気なの?親のいないあなたを誰がここまで育ててやったと思ってるの!」

嫌だ。

「アンタみたいな存在価値のない子はもう私の前に顔を見せるな!出てけ!」

何もかもが、嫌だ。そう思いながらわたしは行くあてもなく大雨の中を走って、走って、走った。もう悔しくって、まぶたからは大粒の涙があふれていた。目をつぶればはじけ飛んでしまいそうなほどに。走っているうちに雨足がザアァァァッと強くなり、呼吸が段々荒くなっていくのが感じられた。家を出てからどれくらい走っただろう。過剰に潤った目では前に何があるのかすらもわからない。わたしは何かにぶつかるまで全速力で走り続けた。

しばらくすると、「どすぅん」と大きな音を立てて何かにぶつかった。普通なら絶対痛くなるはずなのに、不思議と痛みはなかった。なんとなく嫌な予感がしてきた。体から冷や汗がタラリと流れ、ぞわっと鳥肌が立ってきた。こぼれた涙を拭いて見上げたところにあったものは大きな、大きな建物だった。それを見た途端、わたしの体は今までにないくらい震えだし、

「あ、うっ」

というかすれ声がでた。最悪だ。目の前にあるこの建物は地元で消えては現れを繰り返しているあまりにも有名な幽霊屋敷であるテーチ城だ。わたしはどうやらその城門にぶつかったらしい。町の外れにそびえ立っていて、入ることはおろか近づく人さえもいないこの城は、幽霊がいるなんて噂は序の口で、常時黒い雲が上空を覆っていたり(今は雨が降っているので当然っちゃ当然だが)、数百年以上誰も住んでいないと言われているのに建物が一切老朽化していなかったりする。それどころか、なぜか建物が常に最新の状態に保たれているとのことで、怖い。唯一まともなところは、誰もいないはずなのに手入れがよくほどこされたチューリップが庭の一面一面をきれいに彩っているということだ。これだけ恐ろしい噂が立っていると、テーチ城には「アレ」が「いる」と考えるのが自然だろう。というか、「いる」に決まっている。

こんなところにいたらやばい。そう思って、勇気を出して震えた足を運んで引き返そうとした矢先に、「ピシャアアアアアッ!、ゴロゴロゴロゴロオオッ!」と身の危険を身近に感じられる程、活きのいい雷がわたしの足元に轟いた。こんなところを出たらやばい。そう思っていると、テーチ城の城門が急に「ウィィィィィン、ガシャン」という機械音を立てて開いた。わたしは

「建物だけじゃなくて城門まで最新式かよぉっ!」

と心の中でツッコミを入れた。今ので緊張感が解けたおかげで足の震えは止まったが、これでは進もうにも引き返そうにも身の危険の板ばさみ状態だ。でも引き返したところで知り合いに見つかれば余計な心配をされて家に戻されるのがオチだ。戻れば家に入れてくれるだろうが、また奴隷のように扱われる生活が待っているだろうから、戻るのもつらい。考えれば考えるほど、嫌なことしか思い出せない。

「だったら。」

わたしは一つ大きな深呼吸してしてから大きな決断をした。今度はふわっと大量の涙があふれた。どうやらわたしは正常な判断もできないほど追い詰められていたようだ。

わたしはとうとうテーチ城の敷地に足を踏み入れてしまった。だとしても別にわたしがいなくなったところで悲しむ人はいないだろうし、もはや私自身が何をすればいいのかわからなくなってしまっていた。

「もう、いいや。」

と細くつぶやいて再び潤った目を拭うことなく、うつむきながらゆっくりと足を進めた。喉の奥がぐっと苦しくなった。少し経ってから、目の前から何か四角いものを差し出す手が見えた。それは、ハンカチだった。

「これをお使いなさい。さもないと貴女は場違いに見えてしまいます。」

これは天からの迎えかな、わたしはもうこの世からいなくなったのかな、なんて思いながら顔を上げてそのハンカチに手を伸ばしたが、触れない。涙ではっきりとは見えないが、透けているのがわかった。最初はわたしが幽霊になってしまったんだなと思った。だが、違う。透けているのはハンカチの方だった。

「おっと、申し訳ない。霊化を解除し忘れていました。」

そしてわたしはびしょぬれのハンカチを受け取った。涙を拭くと、そこにはわたしよりも一回り上ぐらいの年で、やや背の高い端正な顔立ちをした青年が微笑みながらずぶ濡れになって立っていた。さらに後ろには大雨にもかかわらず、一滴たりとも濡れていない黄色いチューリップが見事に咲いていた。

「おや?結局場違いには変わりありませんでしたね。まあいいでしょう。そう言えば申し遅れましたが私はこの城の執事で、ポリュビオスと申します。以後お見知りおきを。」

わたしは今見た光景の異質さに、今言われた嫌味にも気付かずにいた。急にずぶ濡れになった彼と全く濡れていないチューリップの事もそうだが、なんと彼は膝から下がない状態で立っていたのだ。うろたえたわたしに彼は察しがついたようで、こう答えた。

「ああ、足のことですか。ちょっとした事故で失くしてしまいましてね。幽霊になった今でも後遺症として残っているのですよ。」

何か今さらりとすごいこと言わなかった?幽霊って言ったよね?それに何?幽霊になるのに後遺症とかあるの?わたしが呆気にとられていると、今度は

「どうやら容姿だけでなく頭もよくないのですね。」

と毒を吐いてきた。悪口なんかは昔からさんざん言われているので、今さらこんなことでカチンとくるわたしではない。ただ、ずっとそうしてきたためか、わたしは本能的に彼から目をそらしてしまった。しかしそれを気にする様子もなく、彼はわたしに

「どんな理由でここに来てしまったのかはわかりませんが、詳しいことは安全な城の中でしましょう。」

と、わたしを城の中に入るように促した。すでに覚悟を決めていたわたしは、ためらわずに彼の後をついていった。

「ウイイイィン。」

城内に入るための扉が開いた。「やっぱりな。自動か。」予想はできていた。入ってすぐの場所は大広間で、壁の中から丸くて白い、宇宙人で言うところの「グレイ」ポジションのよくありがちな感じの幽霊が出てきた。

「よう、ポリュビオス。いや、ポリィ。それと、お前の後ろにいる女がベアトリクス・ミニエか。10月25日生まれの17歳。血液型はA型で、身長164㎝たいじゅ…」

「うわあぁぁぁぁぁ!」

「やれやれ。またラウンの能力が暴発しましたね。何と彼は見ただけでその人の個人情報がわかってしまいましてね。」

彼は勘違いしたようだが、今叫んだのは言われたくなかったことを言われそうになったことじゃなくっていきなり幽霊が出てきたことだ。叫んだタイミングがよかったのもたまたまだ。たまたま。彼以外の幽霊はいると思っていたが、まさかこうもあっさり出てくるとは思わなかった。だからわたしはついうっかり

「ここって、どれぐらいの幽霊がいるんですか?」

と聞いてしまった。すると彼は「パンッ!」という音を大きく響かせるように手を鳴らした。それからすぐに、大広間の壁のありとあらゆる方向から様々な姿かたちをした十数体もの幽霊たちが出てきた。

「彼らが私と友人関係にある幽霊達です。まあ、この城にいる全ての幽霊の数は全く把握できていないのですがね。」

わたしがした質問は、最悪の形で返答された。一体だけでも叫ぶほど驚いたのに、この数が一気に出てくるなんて…完全に殺す気だ。わたしは喉から心臓が飛び出た気がした。そして間もなく意識を失った。

目が覚めたわたしはやたらと豪華なベッドの上にいた。辺りを見回すと、部屋は豪華な装飾、高そうな絵画、大きな古時計、そして…父親と娘であろう二人が笑顔で写っている写真があった。ノックのあとに、部屋のドアが開いてポリュビオスが入ってきた。

「先ほどは驚かせてすみません。幽霊が苦手だと知らずにあれ程の者達を呼んでしまって。」

「いえいえ、急に出てきて驚いただけですから。」

「そうですか。それはそうと、なぜ貴女はこんな誰も近寄ることもないこの城に入って来たのですか?良ければ教えていただきたいのですが。」

わたしはここに来るまでの一部始終を話した。親戚の家で奴隷のような扱いを受けていたこと、嫌になって家を出たこと、大雨の中で必死に走っていたらこの場所に着いていたこと、自暴自棄になって城の敷地中に入ったこと、すべてを話した。すると彼はにっこりと笑って、

「だったらしばらくここでお世話になってはどうですか?まあ、ここには幽霊しかいないのですがね。」

と。わたしは渋ったが、ここで拾った命はここで役に立てるのが筋かなあ、と思ってコクリと頷いた。

「なら少しづつ彼らとも仲良くなっていただきたいですね。」

そう言って彼はまた「パンッ!」と手を鳴らした。今度は部屋の中から「ふおん」と彼らの姿が浮き出てきた。どうやら、透けて見えなくなっていたらしい。わたしは再度気絶するほどにびっくりしたが、今度は踏みとどまった。そしてわたしはちょっとの冷や汗とともににっこりとほほ笑んだ。わたしの心の氷が少しづつ溶かされているような感じがした。

いつだっただろうか、わたしが最後に笑ったのは。いつ以来だっただろうか、誰かと一緒にいて「あたたかい」と思ったのは。

拝啓、天国の父様、母様へ。一時はそちらに会いに行く予定でしたが、新しい仲間と一緒に新しい一歩を踏み出したので、会うのはもうちょっと先になりそうです。これからもわたしをあたたかく見守ってください。ビーより。

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